ラグラン袖・・・
普通袖と違い、首の付け根から脇にかけてと、肩線を通り袖の先端まで縫い線が通る袖のことです。普通袖に比べ脱ぎきし易く、パッドが無い物も多く着心地が快適です。
「ラグラン袖」という名前の由来には2つの説が存在します。
どちらの説にしても、初代ラグラン卿、フィッツロイ・ジェイムズ・ヘンリー・サマセット(英語: FitzRoy James Henry Somerset, 1st Baron Raglan,)という英国陸軍の軍人の名前に由来しています。
ラグラン卿は1788年生まれ、ナポレオン戦争期の英国の名将ウェリントン公爵に従い、公爵の姪と結婚しているほど親しい間柄でした。
ラグラン袖 誕生説その①
1815年のワーテルローの戦いで片腕を失ったラグラン卿は、戦後外套や軍服を着るのに苦労しました。そこで懇意の仕立屋に相談し、簡単に着る事が出来るコートをデザインさせました。
この時に出来た袖がラグラン袖であり、以降この袖を付けたラグランコートは、卿の個人的な思惑だけではなく、英国から世界中にファッションとして広がっていった、というものです。
ラグラン袖 誕生説その②
1954年にクリミア戦争が始まると、ラグラン卿は英国陸軍大将としてロシアに派遣されました。戦場は冬になると非常に寒くなり、本国からの衣服の補給が途絶えがちの兵士たちは、寒さに体調を崩す者が続出しました。見かねたラグラン卿は戦場の後方に山積みされていたジャガイモ袋の底の両端を斜めにカットし、かつ首を出す穴を作って、寒さに凍える兵士たちに着せました。
このカットの方法と、後から急場しのぎで付けた袖のデザインは兵士たちに好評で、戦後の英国でラグラン袖として広まった、というものです。
ちなみにラグラン卿は1955年、祖国を遠く離れたロシアの地で戦病死してしまいました。
ということで、①の説が今では有力なのですが、英国発祥の洋服の例にもれず、このラグラン袖のコートは戦争により誕生した意匠となります。
この秋冬はラグランコートのオーダーが続き、私も検品試着を繰り返しましたが、最初に書いたようにラグランコートは、着る際にとても楽です。少し五十肩が出ている私には特に楽でした。
このハーフコートは晩秋や春先用にお客様がオーダーされました。
生地はイタリアの、タリア・デルフィノ(TALLIA DELFINO)、290g/mのSuper130ウールです。
チャコールグレーの中柄バーズアイが、風合い良くしっくりとくるコートです。
先人の方々が色んな理由で考案したデザイン、時を経て次第に広がり洗練され、私たち現代の日本人にも愛される服となっている事が感慨深いものですね!
ラグランコート・お仕立て上りプライス(税別)
BESPOKE(フルオーダー・仮縫い付きハンドメイド)
・・¥140,000から
納期:約一カ月です