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【エッセイ】80年代の学生時代と「デヴィッド・ボウイ」

2016年2月2日

先月1月10日に英国のロックスター、デヴィッド・ボウイ氏が亡くなりました。満69歳だったそうです。

 

遺作の新アルバムや追悼番組、ライブ映像、映画「戦場のメリークリスマス」なども再放映されていて、私はじめ往年のボウイファンにとっては懐かしい姿を拝見できました。

 

 

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デヴィッド・ボウイの音楽との出会いは大学入学の1982年の頃です。

 

入学したての頃に入ったサークルは、どの大学にも存在する「ESS」つまり英会話サークルでした。しかし私が入った大学では「英語学会」という立派な名称で、歴史も長くて70年代の学生運動華やかしいころの雰囲気が未だに残っていました。

 

例えば、英会話の修得そっちのけで英語演劇に夢中で、演劇論の方が熱く語られていたり、精神と肉体の開放をどうするか、吉本隆明の意味不明な(失礼!)言語美の本を論じたり、メンバー感のいざこざに「総括」や「自己批判」などの一時代前の言語が使われたり・・。

 

 

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ESSには個性的な先輩が多く、ある4年生の痩せて坊主刈りの先輩はいつも革ジャンの襟を立てて、なぜかいつも心持ち口を横に広げ、わざと唇を薄く少し歯を見せようとしていました。

 

 

David Bowie

 

毎晩先輩のアパートを周り、安い酒を飲みながら語り合っていましたが、例の革ジャンの先輩の狭いアパートでは、これに延々と音楽が加わりました。

 

その先輩のアパートに行くと壁に幾つものLPレコードのジャケットが掛けられていました。そのほとんどがデヴィッド・ボウイのアルバムでした。

 

 

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ベルリン時代のデヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド…と、聴けば聴くほど訳の分からない楽曲が多くて、私たち一年生仲間には苦痛な時間でした。

 

極め付けに暗く感じたのがデヴィッド・ボウイの「ロウ」というアルバムで、そのジャケットの写真は、襟を立てた革ジャンのボウイの横顔を写したものです。

そのレコードジャケットを見た瞬間に、坊主刈りの先輩は何を真似していたのか分かりました。

 

 

当時は今よりもずっと洋楽が流行していて、MTVの創生期でもあり、特に英国のニューウェーブバンドやアーティストのシングルが全米でもヒットしていました。

 

デュラン・デュラン、カルチャークラブなどのヴィジュアル重視のポップでキャッチーな楽曲のバンドが日本の大学生の間でも大ウケだったものです。

 

 

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しかし例の先輩とその取り巻きは徹底的にそんなアーティストたちを嫌っていました。彼らの旗頭はデヴィッド・ボウイや初期ロキシーミュージックであり、マイナーな欧州系のパンクバンドであり、その頃はちょっと下火のプログレだったりしたのです。

私もいつのまにか洋楽の趣味が、クイーンなどから意識高い系へ変化していきました。

 

確かにマイナーではあるが先鋭的でスノッブなアーティストの雰囲気は、流行のニューウェーブ系と一線を画して、俺ら「ロック通」なんだよね、という優越感を持してくれました。

 

 

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ところがそのロック通スノッブ集団のプライドが、突然粉々に打ち砕かれました!

それが教祖デヴィッド・ボウイの大ヒット曲、「レッツ ・ダンス」です。

 

「レッツ・ダンス」・・・このトホホなタイトルからして私らは裏切られました。しかしナウい(死語)当時のシーズンスポーツサークル系の主流派大学生達には大ウケです。

 

来日したデヴィッド・ボウイはTV番組(夜のヒットスタジオだっかたな?)で、ブカブカのソフトスーツを着たテクノカットの連中と一緒に「レッツ・ダンス」してしまいました。

 

 

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しばらくして革ジャン先輩のアパートに遊びに行くと、壁からボウイのアルバムが外されてました。

 

私はそのうちサークルを辞めましたが、逆にロックミュージックに傾倒するようになり、もう一度デヴィッド・ボウイのアルバムを聴いてみました。「スペース・オディティ」、「ジギー・スターダスト」、「アラジン・セイン」・・・・今聴いても新鮮で味わい深い曲がいっぱい入ってます。

 

 

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「レッツ・ダンス」は別として、それ以外のボウイのアルバムは、「一度だけでは解らない、噛めば噛むほど味が出る」曲が多いです。

ソニーのウオークマンでボウイを聴きながら、私も気づいてみるとジャケットの襟を立て少し歯を見せるように歩いているではないですか!

 

 

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社会人になり30年近く経ちましたが、今でも時折デヴィッド・ボウイのアルバムを聴いています。特に好きなのは「ジギー・スターダスト・ライブ」です。

こんなに歌が上手いんだ!などと失礼ながら思います。

叙情的な「フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年(Wild Eyed Boy from Freecloud)」、レッド・ツエッペリン顔負けのヘヴィな「円軌道の幅(The Width of a Circle)」等の名演奏には今でも感動しますね~。

 

92年に放映されたクイーンのフレディ・マーキュリー追悼コンサートでは、アットホームな雰囲気でジギー時代のメンバーとともにプレイした「全ての若き野郎ども(All the Young Dudes)」や「ヒーローズ(Hereos)」も素敵でした。

 

 

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ちなみに70年代に来日した時の衣装がこれです。山本寛斎がデザインしたそのスタイルも斬新です。漢字がいいですね・・・・【出火吐暴威】!

その頃のワールドツアーでも寛斎の衣装ばりばりで演奏していました。

 

 

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今日は服の話題からずいぶんそれてしまいましたが、在りし日のデヴィッド・ボウイの雄姿を思い出しつつ、名曲「薄笑いソウルの淑女(Lady Grinning Soul)」でも聞きながら仕事しましょうか。

 

 

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・・・・しかし、70年代のボウイの楽曲のしょうもない日本語タイトル、なんとかなりませんかね?「レディ・グリニング・ソウル」で十分。タイトル見て聴きたくなくなるんじゃなぁ。