今年の大河ドラマは鹿児島を舞台にした「西郷どん」です。
三洲堂テーラーでは、これまで鹿児島市の依頼で西郷さんや大久保さんのお洋服のレプリカを仕立ててきました。今回は宮崎県延岡市、北川町からの依頼で西郷さんの軍服を作製いたしました。
この話題は、本日7月26日の地元紙、南日本新聞の記事に取り上げられました。
この一か月、裁断士と二人の裁縫士のトリオで、陸軍大将軍服に取り組んできました。
この軍服のオリジナルは鹿児島県の歴史資料センター黎明館に展示されています。これと同じデザインと寸法で型紙を起こし裁断しました。英国の分厚い「イングリッシュ・メルトン」ウール生地は、なんと600g/mのへヴィーウェイトです。生地をカットした裁断士の伊達は、分厚いメルトン生地を正確に裁断するのに、通常の二倍の時間がかかったと申しております。
軍服本体は最高齢のベテラン仕立て職人・黒木幸が仕立てました。黒木が仕立てた土台の袖やカラーに、美しい金モールを貼りつけていったのは、最年少の職人・水迫です。
このほど完成した当時の明治陸軍唯一の大将、西郷隆盛軍服です。
上着丈88センチ、肩幅57センチ、バスト上り138センチ、胴回り上り130センチという大きい服です。実際の西郷さんは身長約180センチ、体重110~120kgという巨漢ですから、十分この軍服ほどの大きさになると思います。
早速仕上がった軍服を持参し、宮崎県延岡市北川町にうかがいました。
北川町では至る所に西郷さん関連ののぼりや看板が建っています。この地域の人たちにとって、西郷さんが大変身近な存在だったことがうかがえます。
依頼元の延岡市北川総合支所、地域振興課さんと教育委員会のメンバーの方と記念写真をとりました。
その後、西郷隆盛宿陣跡資料館へお邪魔しました。
今年の秋には資料館がリニューアルされ、納品した軍服もこちらに展示される予定です。
ここで私たちは驚くような場所を拝見しました。薩軍最後の組織的戦闘となった「和田越の戦い」で敗北した西郷さん達は、この資料館である児玉邸に起居し、その後の方策を話し合いました。そしてこの地で薩軍に解散を命じました。
本宅の中には、ロウ人形で西郷さんと幹部達の最後の軍議の模様が再現されています。
その際に明治天皇陛下から下賜された陸軍大将の軍服や重要書類を中庭で焼却しました。その場所が残されていました。説明用のボードと軍服の写真もあり、資料館の児玉さんに当時の様子も詳しく聞きました。
・・・児玉館長さんのお祖母さんは、明治10年に西郷さん達が投宿した時にわずか7歳でした。親から西郷さんや幹部に近づかないよう言われていましたが、洗濯物を取り込む際に西郷さんの前を素通りしたそうです。近くにいた幹部が「なんごっや!(何をしてるんだ!)」と7歳のお祖母さんを叱りつけたところ、西郷さんは幹部を制して、大きな身体を小さくかがめ、「こげん迷惑をかけっせぇ、すんもはんなぁ。」と優しく語りかけたそうです。
後年児玉館長は西郷さんの姿をお祖母さんに聞くと、「すごく眼の大きい方だった」「眼は真っ赤だった」と語られたそうです。
資料館では今まで気づかなかった事も学べます。西南戦争当時宮崎県は鹿児島県に編入されていた為に、延岡市からも多数の若者が出征しました。そして戦死された方も多かったようです。
日本史上最後の内戦は、熊本、宮崎を戦火にさらし鹿児島で終焉しました。
西郷さんの軍服と大久保さんのフロックコートを仕立てるたびに、この二人をはじめとする薩摩や日向の若者たちの姿が目に浮かぶようです。
大河ドラマが西郷さんの人間性にどこまで迫るのか、そして歴史的事実をどのように描くのか、楽しみになりました。
三洲堂テーラーではこのような歴史上の偉人の方々や祖先の着用されていたお洋服、思い出深いクラシックな軍服、制服、マントなど、当時の資料を出来る限り調べて再現しレプリカをお仕立てしています。
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